村山 満月うどん

満月うどんについて

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満月うどんのご紹介です

打ちたて、茹でたての田舎うどんをライブで。
うどんの風味が一番際立つ“つけ麺”にこだわっています。小麦は農林61号など国内産100%をブレンド。
お客様の笑顔が溢れるよう、誠心誠意真心を捏ねて、おつくりしています。

地元産旬野菜の糧を彩りに添え、皆様のお越しを、うどんを長くしてお待ちしております。

満月うどんの歴史

満月うどんの現在の店主は二代目ですが、祖父の代は織屋を営んでおりました。
地方から働きに来ていた母は祖母に認められ、うどん打ちを覚え嫁に入りました。
時代は着物から洋服に移り変わり、村山の織屋も数が少なくなり、
先代も時代の流れに逆らえず、織屋をたたみました。

そして、1986年夫婦でうどん屋を始め、試行錯誤の末、現在のうどんができました。
2003年からは、打ちたて・茹でたての美味しいうどんを食べていただきたいと食堂も始めました。
さまざまなものが多様化している時代の中、これからも変わらず手から手へ受け継いでいく武蔵村山の食文化。
市内の小学校ではうどん打ちの体験も授業の一環として行われています。

どこかで食べたことある懐かしい味…。そんな思いに浸っていただければ、と満月うどんは思っております。

村山うどんの歴史

東京都内で唯一、駅のない市、武蔵村山。
武蔵村山市を含む武蔵野台地は、古くから稲作には適さず、
古人は麦やさつまいもなどを栽培し自給自足の生活を送っていました。
大麦、小麦を換金のために育ててもいました。

小麦を使った料理は多くありますが、そのなかでうどんは根付いていったのです。
畑の中で、村山うどんは産声をあげました。
武蔵村山で生まれたうどん文化が立川、東村山、小平に広がったとも言われています。
うどんの脇には、茹でた小松菜やほうれん草、季節の野菜が添えられ、それらは“糧(かて)”と呼ばれるようになりました。

武蔵村山は、かつて織物の町として栄え、村山大島紬の反物を扱う織屋がたくさんありました。
織おり機があるツボ畑には地方から若い女性が住み込みで働きに来ていました。嫁入り前の大事な娘たちを預かる経営者たちは、親代わりとして地元の生活習慣や料理を教え、うどん作りはその代表でした。
「嫁に行くなら、うどんが打てなきゃ、しゃ~ね~」と、若い女性はうどん打ちを覚え、村山に嫁にくることが決まれば嫁入り道具に『伸し板と伸し棒』も持って来ました。

村山周辺では、親戚や知人が集まる冠婚葬祭、盆暮れ正月などのとき、うどんを打ってもてなす風習が今でも根付いています。
艶やかな小麦色で“つるつる”、村山の女性が捏ねて足でよく踏んだうどんはたいへんコシがあるため、よく噛むように“かめかめ”。
『つるつるかめかめ=鶴鶴亀亀』で縁起が良いといわれ、うどんは食されました。